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【文章論】親しき仲にも礼儀あり - 文末詞について


 前回は、日本語の一人称は、相手によって使い分ける、というような話を書いた。
 今回はそのつづき。

性格が先か、言葉が先か

 一人称のほかにも、文末詞も相手によってを使い分ける。文末詞とは、語尾の言葉づかいのことで、「文体」と呼ぶことがあるが、「文体」という言葉には「書き手の個性・書き方の特徴」というような意味もあるから、ここでは「文末詞」という表記で統一する。

 さて、文末詞は主に「だ・である」という普通体と、「です・ます」という丁寧体がある。さらに丁寧な「であります・でございます」というのもある。わたしの手元にある金田一春彦さんの『日本語の特質』(NHKブックス)を紐解くと、敬語というのは日本語以外の言語にもみられるけれど、丁寧体のような表現がある言語は、世界でも珍しい、と書いてある。

 初対面の人や、目上の人、お客さまに対しては、丁寧な「です・ます」を用いる。礼儀を欠かしてはならない、と日本人は考えるのだ。礼儀を重んじるという日本人の性格が、丁寧な言葉づかいを作り上げたとも言えるし、丁寧な言葉づかいによって、礼儀を重んじる日本人の性格が作られた、とも言える。性格が先か、言葉が先か、それはわからない。最初は、性格によって言葉が作られたかもしれないが、いまでは、言葉によって性格が作られているようにも思う。

話すように書く

 家族や友だち、恋人といった、親しい人との会話では、砕けた言葉づかいになる。何かをお願いするときや、謝るときを別にして、普段の会話の中では、とりたてて言葉に礼を尽くさなくても問題にならない。メールなどの文章の文末詞も、「だよ」とか「でしょ」とか「じゃん」というように書く。話すように書く。

 現在、流通している文章のほとんどは口語体、つまり話し言葉だ。だから、文章のほとんどは「話すように」書かれている、といえる。けれど、例えば新聞記事の文章などは、実際の話し言葉とは程遠い印象を受ける。なんとなく堅苦しい。私がいま書いているこの文章も口語体だけれど、かしこまった感じがするだろう。実際に私が誰かと会話するときは、もっと砕けた言葉づかいをする。

 ブログの中には、「だよ」とか「でしょ」とか「じゃん」のような、親しい人と会話するときと同じような言葉づかいで書かれる文章もある。それらは、書き手のお喋りを聞いているような感覚で読める。すいすい読める。気取っていないので、親しみやすい。自分が書いた文章を、できるだけ多くの人に読んでもらいたいのなら、文章の読みやすさ、親しみやすさを意識するのは自然なことだ。

 

書き手の感情があらわれる?

 話すように書かれた文章が、読み手に親しみやすさを与えるのは、書き手の感情があらわれている「かのように」読めるからだろう。それはときに、誤解を招くことがある。「AはAである」という文章の文末詞を、「AはAだよ」「AはAでしょ」「AはAじゃん」というように書くと、軽い調子のようにも読めるし、怒っているようにも読める。もちろん前後の文章の流れによるけれど、砕けた言い回しのせいで、軽薄な印象や、乱暴な印象をあたえたりもする。親しみやすさも万能ではないのだ。

 ところで、長年の疑問なのだが、小学生のころの問題文は「答えましょう」だったのに、やがて「答えなさい」になり、「答えよ」に変化するのはいったい何故なのだろう。