【本】人生が人それぞれなら、方法もまた同じ - 橋本治『「わからない」という方法』


わからないからやってみる

 橋本治さんは作家である。それも、なんでもやる作家である。女子高生の話し言葉で書かれた、画期的な一人称小説『桃尻娘』(1977年)で作家デビューしてから、小説はもちろん、古典の現代語訳をやり、少女漫画から日本近代文学まで幅広く論じ、恋愛から国家まで縦横無尽に語り、さらには、セーターの編み方から算数の解き方まで指南する。とにかくなんでもやる人だ。その理由は、「わからないからやってみる」「わからないから手を出す」のだという。だから、橋本さんの方法とは、『「わからない」という方法』なのである。

「わからない」という方法 (集英社新書)

「わからない」という方法 (集英社新書)

 

 とはいえ、わからないことについては書けないはず。でも橋本さんはこう言う。

 
…「わからないこと」を書けるわけがない。そんなことをしても、文章がまとまらない。(中略)なぜまとまらないのかと言えば、全体像が「わからない」からである。(中略)しかし、この「わからない」の全体像をまとめる方法が一つだけある。それは、「自分はどのようにわからないのだろうか?」と考えることである。
 全体像が見えないのは、それをまとめる”方向”が「わからない」からである。”方向”が1つにならず、あちこちに散乱している。だから、「1つの全体像」にはならない。つまり、その散乱する”方向”を1つにしてしまえば、これはまとまりうるのである。
9-10頁:傍点は太字で記した

 

 かくして橋本さんは、「わからない」という名の迷路を、「自分はどうわからないのか?」を入口にして、「わかる」という出口に向かって突き進む。
 
 橋本さんによれば、「わかる」とは、自分の外側にあるものを、自分の基準に合わせて、もう一度自分オリジナルな再構成をすること(同書 105頁)なのだという。橋本さんは作家だから、文章を書く。本を書く。それは、「わからない」の迷路をくぐり抜けて、再構成した結果なのだ。

書かれていないことの発見

 前回取り上げたショーペンハウアーによれば、本というのは「他人の思索の足跡」でしかない、という。つまり、著者がどのように「わからない」という名の迷路を歩いたか、が記されているものなのだ。そしてそれは、あくまで他人の迷路であって、決して自分の迷路ではないのである。

「自分はわからないことだらけだ」と、私は思う。そして、その疑問を解いてくれるような本に出会うことがそうそうない。他人の書いた本を読んで「なるほど」と思うことももちろん多かったのだが、それと同時に、「どうしてこういうことは書いてないんだ?」と思うことも多かった。「わからないことだらけ」を当然とする私は、他人の本の中に「書かれていること」より、「書かれていないこと」をより多く発見してしまっていたのである。
79頁
 
 ショーペンハウアーが、「読書ばかりしていると自分でものを考えなくなる」というのは、書かれていることばかり追うために、「書かれていないこと」を発見できないからなのかもしれない。「書かれていないこと」を発見すれば、その「書かれていないこと」、つまり「わからない」を埋めるために、思索がはじまるのではないか。それが自分の迷路の入口、「自分はどうわからないのか」という入口になる。
 

他人のやり方は他人の生き方

 というわけで本書は、橋本さんが過去にどのように本を書いたのか、つまり、どのように「わからない」を手がかりに本を書き上げたのかを紹介・解説する内容になっている。しかも、気が遠くなりそうなほど地道な作業の積み重ねが延々と書かれているばかり。こんな面倒なことはとても真似できない、と誰もが思う。わたしも思う。要するに本書は、ハウツー本ではないのだ。自分にもできそうなテクニックやメソッドを期待した読者はガッカリするだろう。けれど、橋本さんに言わせれば、人の言う方法に頼るべき時代はとうに終わって、これからは、「わからない」という前提に立って自分なりの方法を模索するしかないのだ(同 19-25頁、226頁)。
 
 前回、わたしは「人は自分の興味がある分野しか、自分の頭で考えようとしない」と書いた。同じように、「わからない」という壁にぶつかっても、「自分には関係ないや」と思えば、さっさと引き返すのが普通である。橋本さんは、「わからない」ことをつぶしていくことが人生だと思っているようだ(同 11頁、13頁)。橋本さんの人生観から導き出されたのが、「わからない」という方法なのであって、それが橋本さんの生き方なのである。
 

やり方=生き方に正解はない

 橋本さんは、「わからない」という方法は「覚悟である」という(同書 27頁)。
 
なにかをするに当たって、「めんどくさい」は当然のことだと思っている。「めんどくさい」のは事実だから、「めんどくさい、めんどくさい」とは言うが、私は 「めんどくさいことをやる」ということに関しての覚悟ばかりはできている。私には、それ以外の方法がないのである。
248頁

 

 わたしたちは、つい「普遍的な正しいやり方・正しい方法が、どこかにあるのではないか」と思ってしまうけれど、「普遍的な正しい生き方・正しい人生が、どこかにあるのではないか」とはあまり思わないのではないだろうか。「やり方」と「生き方」がセットだと考えれば、他人のやり方=生き方が、そのまま自分に転用できないことに納得がいくと思う。自分の人生は自分で歩むものだから、自分のやり方は自分の人生の中から見つけるしかない。本書は、そういう覚悟を促すための本である。