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労働の喜びは虚栄心? - 今村仁司『近代の労働観』

 

 「仕事・労働」とはなんだろう。
 それは、他者と関わる社会的な活動だ。自分だけのために行われる活動ではない。
 「誰かのために何かをすること」、それが「仕事・労働」ではないか。
 なので、「仕事・労働」に喜びがあるとすれば、それは他者からの承認だろう。

 

他者による承認を求める欲望

 今村仁司(いまむらひとし)さんも、著作『近代の労働観』(岩波新書)のなかで、「労働の喜びなるものは、他者の視線あるいは他者の評価によって媒介されてはじめて生じるもの(111頁)」だと述べている。

 

 古代であれ現代であれ、労働は基本的には、自由な行為ではなくて、隷属的な行為である。労働の隷属性を、労働する者は、自覚するしないにかかわらず心の奥で感じている。それをなだめるのが種々のモラルであるし、とくに他人による評価の媒介である。したがって、労働の喜びは、内発的ではなく外発的である。総じて、苦痛である身体行為をなんらかの形で「喜び」と感じさせるのが、他者による承認を求める欲望である。
123-124頁

 

労働に喜びなんてない

 「労働を通じてこそ、人生が豊かなものになる」というようなことを主張する「労働生きがい論」がある。
 また、「労働の本質は、喜びに満ちたものだ」というようなことを主張する「労働喜び論」がある。
 こういった主張に今村さんは疑問を投げかける。
 労働は「生きがい」になり得るようなものなのか?労働に「喜び」なんてあるのか?

 

 そこで今村さんは、古代から20世紀までの労働観を検証したうえで、「労働生きがい論」や「労働喜び論」に通じる「勤勉を美徳とする価値観」は、近代化の過程で形成されたものであり、人を働かせるための方便に過ぎないと論じる。

 

労働が社会生活に「必要」であるということと、人生の意味が労働にあり、労働の意味(喜び)が人生の生きがいになると言うことは、およそ別個の事態である。 前者は社会科学的な事実である、後者はイデオロギー的思い込みである。いや、それどころか、労働意味論(労働喜び論)は、管理のためのイデオロギーである。もともと労働のなかに喜びなどはない、だからこそ無理にでも喜びの労働内在性を虚構しなくてはならない。そうでないと労働者は労働してくれないからである。
149-150頁

 

 わたしも今村さんも、労働の喜びは「他者からの承認」だという考えは同じだ。けれど、どうやら「他者から承認される欲望」の捉え方が違うようだ。

 わたしの場合は、「感謝を求める気持ち」という意味で「承認欲求」という言葉を使ったのだけれど、今村さんは「虚栄心」、つまり「見栄」として考える。

 

虚栄心とはなにか

今村さんは、パスカルを引用しながら「虚栄心」を説明する。

われわれは、自分のなか、自分自身の存在のうちでわれわれが持っている生活では満足しない。われわれは、他人の観念のなかで仮想の生活をしようとし、そのために外見を整えることに努力する。 われわれは、絶えず、われわれの仮想の存在を美化し、保存することのために働き、ほんとうの存在の方をおろそかにする。

パスカル『パンセ』断章147:太字は今村による

 

  人はだれでも自己尊厳だとか自尊心を持っている。
 けれど、自分で自分を承認・肯定するだけでは客観性に欠けるために満足できない。
 そもそも社会というのは、直接的にも間接的にも他人と一緒に生活することだから、他人の視線を気にして、他人の評価を求めてしまう、そこから「虚栄心」が生まれるのだ、という。

 

虚栄心と地位

 今村さんによれば、承認を求める欲望は、上位と下位の差異を生み出すもので、「自分が仲間と同等あるいは平等であることに満足しない(147 頁)」のだという。

 具体例としては、自分より下位の人と比較して満足感を得る。あるいは自分より上位の人に褒められ、認められることを願う。そして、自分と同等の人とは、相手よりも上に立とうと励む。

 これらの例は、同じ職場内での人間関係に限らない。「わたしはあなたよりマシな職種に就いている」だとか、「わたしはあなたより稼ぎがある」といった「虚栄心」もある。今村さんは、順位や等級づけの欲望があるが故に、民主主義はうまくいかない、とさえ言ってのける。

 わたしが述べた「感謝を求める気持ち」も、「わたしは“する”立場であるから上、あなたは“される”立場であるから下」と考えることもできる。「あなたは受け身の立場なのだから、わたしの“する”ことに感謝せよ」ということだ。そういう意味では「感謝を求める気持ち」もまた「虚栄心」なのかもしれない。

 

承認の「質」の違い

 ただ、今村さんの議論は、やや「地位」という側面に偏っていてるように感じる。これでは、「商売」という人間関係をうまく説明できないのではなかろうか。

 たとえば、「接客」というのは、金を媒介にして作られる一時的な人間関係だ。 日本で顕著な「お客さまは神さま」という価値観は、「お金を落とすことが何よりも勝る」という価値観である。したがって、客を常に「上位」として設定する。

 しかしその「上位」は、上司や業界の権威者というような「地位」によるものではない。つまり、上司や業界の権威者に褒められる・認められることと、客に感謝されることとは、質が違うはずなのだ。わたしとしては、承認を求める欲望を「虚栄心」として捉えてしまうと、こぼれ落ちてしまうものがあるように思える。



 ともあれ、欲望というのは、そう簡単に拭えるものではない。そこで今村さんは、ひとつのプランを考える。
 それについては次回。

 

近代の労働観 (岩波新書)

近代の労働観 (岩波新書)