【時事】人はミサイルで死ぬとは限らない


 浅田真央の引退報道の一方で、こんなニュースである。

■米、北朝鮮攻撃に言及 日本政府に今月説明
2017/4/12 02:01 共同通信
https://this.kiji.is/224574917987090441?c=39546741839462401

 この報道は何を意味するのか。事態が本当に緊迫しているのなら、やりとりはあくまで水面下で行われ、報道されるはずもない。情報や連絡は、何よりもまず政府に届くはずで、報道機関に届くのはその後だ。報道されるということは「国民に知られてもいい」と、政府が判断しているからであろう。

 

 つまりわたしたちは、現状がどれほど危険なのかわからないのである。とても危険なのか、そこそこ危険なのか、それともハッタリなのか。どれほど事情に通じていても、推測を域を出ることはない。わたしたちには、正確な情報を把握するすべはない。

 

 「戦争が起きるかもしれない」と想像すると不安になるし、ましてや「日本にも被害が及ぶかもしれない」と考えると恐ろしくなる。けれど、そもそも人はいつかは死ぬのである。永遠に生き続けることはできない。この事実は、誰もがわかっている。わかっているが故に、死について考えないようにしている。なぜなら、四六時中「自分はいつ死んでしまうのだろう?」という恐怖と不安に苛まれて生きることになるからだ。あるいは、「どうせ死んでしまうなら何もかもが無意味だ」とニヒリズム虚無主義)に陥ってしまい、生きる活力が失われてしまうからだ。死について考え始めると、恐怖や不安が襲ってくることも、皆わかっている。わかっているから、必死になって考えないようにして、毎日生きている。

 

 けれど、死について考えても考えなくても、やっぱり人はいつか死ぬのである。何もミサイルで死ぬとは限らない。明日、テロに巻き込まれて死ぬかもしれない。明日、巨大地震が起きて死ぬかもしれない。明日、交通事故に遭って死ぬかもしれない。明日を迎える前に、寝ている間に火事に巻き込まれて死ぬかもしれない。人は死に方を選べない。生き方しか選べないのである。